「神の手」とつくる:1 日本の医療、セットで輸出
朝日新聞 2014年7月30日(水) 配信
ポーランド人医師らの視線は、東邦大学医学部教授、尾崎重之(53)の手の動きに注がれていた。
ポーランド南部ザブジェ市の心臓専門病院。6月23、24日の2日間、はるばる日本から招かれた尾崎は、3人の患者の心臓手術を執刀した。手術はすべて成功に終わり、「すばらしい」とポーランド人医師から称賛された。
この手術は尾崎自ら発案した。心臓から全身に血液を送る大動脈弁が、動脈硬化などで不具合を起こしたとき、弁をつくり替える。
これまでは大動脈弁を「人工弁」に取り換える手術が主流だったが、人工弁は身体にとっては異物。血の塊である血栓が生じ、脳梗塞(こうそく)を引き起こす恐れがある。
一方、尾崎の手法は、患者本人の心臓の表面を覆う「心膜」の一部を生かし、新たな弁をつくって心臓に縫いつける。患者の身体の一部を弁として使うので拒絶反応の心配はない。
同じ手術法は、米国人医師も1990年代に行っていたが、成功率は必ずしも高くはなかった。大動脈弁は三つの弁を持ち、それぞれの大きさが異なることが多いからだ。
米国人医師の場合は、同じ大きさの弁を三つつくり縫いつけるが、尾崎は異なる三つの弁を丁寧に再現して、きちっと縫いつける手法を編み出した。
2007年春から始め、国内では30カ所の病院で実施された。海外でも、11年の独ミュンヘンを皮切りに、ベトナム、マレーシア、インド、ベルギー、そして今回のポーランドと成功させてきた。手術例は720件を超えた。
異なる大きさの弁を、それぞれ的確に再現する尾崎の手術を支えるのは、ある医療機器の存在がある。元の弁の大きさを測る特殊な器具と、その大きさを再現し、心膜をくり抜く際に使う型枠からなる。
尾崎の「神の手」を支えるこの医療機器が今年5月、日米で販売された。医療の先進国、米国での手術に使ってもらうためだ。
これは、東京のベンチャー企業、日本医療機器開発機構(JOMDD)が尾崎と連携し、特許申請などの知的財産戦略を担い、福島県内の協力工場を探しあてて量産化したものだ。
それまでは尾崎が機器の図面を描き、東京都大田区の町工場に個別につくってもらってきた。JOMDDはさらに安全性を高め、日米の審査機関に今春届け出て、販売にこぎつけた。
ものづくり大国といわれる日本だが、医療器具で使われる人工関節や血管を補強するステント、手術用機械器具などの8、9割は欧米から輸入する。100万円以上する大動脈弁用の人工弁は欧米製が多く、全量を輸入品が占めている。
人工弁を使わない手術が広まれば、医療費も削減できる。高額な人工弁に手が届かない層が多い新興国にとってもニーズがある。
医療器具と手術法とを組み合わせてシステムとして輸出する試みは、輸入が多く貿易赤字を抱えている日本の医療機器産業の将来を大きく左右する。
尾崎は語る。「日本の医療技術やものづくり技術は高いのに、医療機器はほとんどが輸入品だ。トヨタのハイブリッドカーのように、日本発の手術法や器具を世界に発信したい」
約1カ月前、尾崎が執刀したポーランドで、その様子を手術室で見守っていた日本人がいる。JOMDD社長の内田毅彦(45)だ。
循環器内科医で、医学博士でもある異能経営者の内田と尾崎との2年前の出会いがなければ、輸出は遠い夢だったかも知れない。=敬称略
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「神の手」と呼ばれる外科医の技術を、日本のものづくり技術を駆使して、世界に広める。日本の医療産業の最前線を追う。(編集委員・安井孝之)